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  • 執筆者の写真mizunowa

夢を語ろう


「叶えたい夢ってありますか?」

「あなたの夢を聞かせてください」

ーーーーなんていうと、

引いちゃう人いるかもですね?

いい歳をした大人が、何を今さら?

なんて言いながら、

ちょっと斜に構えて、

遠巻きに冷かしの笑など口端に乗せて

あるいは、

えぇ〜恥ずかしいし、

そんな大した夢なんてないしー

なんて照れて、2、3歩後ずさって、

笑って誤魔化したりしたり

あなたは語れますか?

自分の夢について、

叶えたいこと、ありますか?

突然ですが、

6月21日の夜、夏至前夜に、

そんな「夢」について語る集いに参加してきました

医療従事に携わる人や介護福祉に携わる、

エキスパートが集まるとあって、

やはり職業柄か、

志を高く持って長期学び、

仕事に就き、

そして真摯に仕事に向き合っているタイプが多いんだろうなぁ、

「夢」について、思ったよりも

みなさんスルスル語れる、

そもそも熱い想いをもって

日々の仕事に当たっているだけあって、

ふつうの勤め人風情では、

なかなか、そんな風に熱くなると、

浮いてしまったりすることが多いように思いました💦

(もちろん偏見ありますね、そんなことない勤め人の方もいらっしゃると思いますっ

念の為)

私はアレコレ妄想して

夢みたいなものはあったりするようなないような〜

(この煮え切らない感じ、ハッキリしない感じに、

すでにテレが混じっているように〜)、

「フツーの勤め人」気質なので、

なかなか「夢について語る」なんて、

しません^^;

だから、あの場へ足を運ぶこと自体が、

参加すると決める行為自体が、

「えいやっっ!」と、勇気が要る行為でした

(そもそもの会の参加条件に

「1分くらいで自分の夢を語ります」というのがあったので💦)

囲んだテーブルで、

互いに「初めまして」の挨拶をし、

名刺など交換し

(私は、そもそも名刺を持って行ってなかったし)、

喉をアルコールで潤し、

饗されたフードでお腹を少し満たして、

全体的にウォーミングアップしてきたところで、

この日のメインとも言える

「夢を語る」 TIME!!!

初対面の相手だから、

ちょっと照れもありつつ、

躊躇しながらも私は口を開く

(だって、コレを口にするために、

言葉にするために、ココへ来たんだもの!!)

(とはいえ、医療関係や福祉関係のプロたちを前に、

一介のセラピストごときが・・・と

呆れられるに違いない💧)

と内心ビクビクしながら〜〜〜〜

で、とっても個人的な感想なんですが、

語って見て、

言葉にして口にしてみて

(言語化するのは、文章にしたりしてよくやっていたのですが、

口にするのは初めて!)

音にして、改めて自分の耳に入れてみて、

自己暗示じゃないけど、

自分で自分に

「ほぅほぅ、私はそれがやりたいのね」って

言ってあげた気分に、

改めて再確認の作業になりました

そしてそして、

同じように夢を持つ仲間の気持ちや応援が、

とても支えになるのは、もちろんなのですが、

自分自分、なかなかしんどい道を歩みながら、

思い通りにならない現実を突きつけられると、

落ち込み、凹み、やさぐれるけど、

荒れた気持ちを潤わせてくれるのは、

『叶えたい夢』の存在なのかもしれない、と気づく

『叶えたい夢』があるから、

今の辛い状況もがんばれる、踏ん張れるのかもしれない

『叶えたい夢』は、

ささやか人生の

大きな支えになるのかもーーーと気づいたのでした

今日の最後に、私が語った夢をーーーー

私は、

自分が、親の介護が始まって、

認知症の親や超高齢の親の介護をしている家族と

繋がるようになって、

自分が介護についての抱えている辛さ、しんどさが、

家族介護をしてる人も、みんな抱えているものと

似ているような気がして、

介護は、在宅はもちろん病院や施設に入っていても、

その負担は大きく、

介護者を時にとことん追い詰める

そうなると、

自分が自分でなくなるほど、破壊していく力がある

それほど私たちは非力なのだけれど、

なかなか気づけない、

SOSが出せない

そうならないように、

介護者が孤立しないように、抱えて籠ってしまわないように、

介護者のケアが必要だと、本当に思ったので

(私自身、ケアしてもらいたいと思ったので)

認知症の症状のある人や病のある高齢者自身は、

こうした志を高く持つ医療時従事者や介護福祉従事者さんたちによって

手厚くケアされる、

当事者だから

でも一番側で、その当事者を支えている

介護者は、

自分の人生を2番目、3番目にして

被介護者のクオリティオブライフを最優先にしている

(親子であるという関係性も、夫婦という関係性もとても影響があると思う)

それでは、介護は長くは保たない、

介護する人のメンタルもボディもケアしないと、

受け止めるところがないと、

介護者は、被介護者についての

一つ一つの重大な決断のたびに、

自分を摩耗させて、疲弊させていく

そして最期を迎える時に、

見送った後に、きっと自責の念に押し潰されてしまう

悪ことなど何一つないのに、

「自分はもっとできたのではないか」と

「自分に足りないことがあったのではないか」と

医療も介護も専門ではない、

素人だからこそ、

そう思ってしまうものなのです

そして相手が、家族ーー親やパートナーだからこそ、

そうした介護家族にこそ、

ケアが必要だから、

介護家族のケアは、

被介護者である患者当事者の日々のクオリティにつながるから

患者さんや被介護者さんの中には、

「家族の迷惑になりたくないから」と仰る人が少なくない

つまりは、

患者さんや被介護者さんは、

一番身近な家族の笑顔を見たいんだと思う、

家族の笑顔が、当人の「穏やかさ」につながるのであれば、

家族をメインにしたケアも必要なのだと、

私は強く思うので、

私は、自分自身が必要としていることもあって、

『ケアをしている家族のケアができる場を作りたい』んです

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