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  • 執筆者の写真mizunowa

グリーフという言葉を聞いたことがありますか?


「グリーフ(grief)」という言葉を聞いたことがありますか?

私がこの言葉を知ったのは、3年ほど前でしょうか?

何か具体的なキッカケがあって聞いたというより、

当時、いろいろ模索していて「行き着いた」、

「逢うべくして遭った」という感じです

この「グリーフ(grief)」、

英語で

「(死別・喪失・絶望・不幸などによる)深い悲しみ、悲嘆、嘆き、苦悩」と

日本語で訳され、

一般的には「深い悲しみ」「悲嘆」と言われることが多いです

グリーフ(grief)を知ってからというもの、

のめり込むように、関連する話をいろんな人に聞きに行きました

そうして、「暮らしのグリーフサポートみなと」に出会い、

グリーフを抱えた人をサポートする活動をするファシリテーターになる

グリーフサポートファシリテーター養成講座を受講しました

それから1年、

さまざまな人の、抱えているグリーフに耳を傾けるようになって、

自分自身の抱えてる「グリーフ」にも新たに気づくようになり、

よくわかっていなかった「グリーフ」というものもが、

どういうものなのか、

なんとなく、私なりにようやく掴めてきたように思います

そんな私に、

最近、「グリーフって何ですか?」と聞かれることが増え、

私なりに言葉にして、説明しているうちに、

「あぁ、そういうこと・・・」と尋ねてきた相手が、

〈自分ごと〉として腑に落ちたような やり取りをしてきて、

その出来事がとても印象的だったので、

ここで文章にしてメモしておこうと思ったので、

書いてみることにしました

グリーフというと「死別」「離別」が大きくクローズアップされるので、

「私はそんなたいそうな別れは、まだ幸い経験していないので、ピンとこない」

「そういうのは、自分とは別の何か特別なこと」と思いがちで、

まさか自分が、自分なりのグリーフを抱えていて、

それがまだ心の奥底に残っているなんて思いもよらなかったりすることも

私が思うグリーフは、

喪失(別れ)が伴うもの 

その別れというのが、

「予告なく、予期せず、突然」で、

「自分自身から何かを奪われたとき

私自身を損なわれたとき、

それは、抗うことが出来ない圧倒的なパワーで奪う、損なうことがあり(私にはコントロールできないパワー)、

そのことによって湧き上がる感情、生まれる感情、気持ち

そして、出来事の後にも襲ってくる感情や湧き上がる感情」

という感じなんだ、と思っています

これまでの人生で幸い、事故や病気、災害など特別なことが起きてなくても、

別れなんて、人でもモノでもたくさんしてきました

(みなさん、そうですよね)

子どもの頃のことを言えば、

クラス替えや卒業といった友人との別れを繰り返し、

それと同時に、出会いも経験してきます

ということで、

私個人的なことですが、

当てはまるようなエピソードをいくつか・・・

子どもの頃に、近所に幼馴染といえるほど

仲の良い同い歳の女の子がいました

物心ついた時から仲良く、

春も夏も、秋も冬も、朝から晩まで、

ずっと一緒に遊んでいました

その彼女家族が、ある日引越ししてしまったのです

聞いていたのかもしれませんが、

子どもの私は、「予期せず突発的な抗うことができない力」でもって、

私の日常から、幼馴染を奪っていったのです

別の話で・・・

二十歳になったころでしょうか、

歳の離れた姉が嫁いで行きました

年が離れた姉だったので、

子どもの頃に一緒に遊んだ記憶はありませんが、

思春期の頃は少し憧れも混じった遠い年上の女性という存在だったのかもしれません

その姉が結婚することは、前々から知っていました

義理兄となる人が挨拶に来て、結納をしたり、会食したり、

結婚に向けて準備は着々と進んでいましたから

姉と両親とで暮らしていた私は、

姉が居る毎日が日常でした

ところが、結婚式を終えて帰宅すると、

姉は居ないのです(当たり前)

姉の部屋に気配はなく、

翌日も翌々日も、当たり前ですが、姉はいません

なんとも言えない寂寥感、

「もう姉がいた日々は戻らないんだ」と喪失感があったことを思い出します

姉と両親が居る日々は、

私にとって日常で、

日常過ぎて馴染んでいて愛着があるものだったのです

でも結婚という

「抗うことができない」、私に選択肢がない力でもって、

私の日常の一部であった姉を「私自身から奪っていった」のです

この2つは命に関わるような別れではありません

それでも、子どもの頃の私にとって幼馴染との別れは

紛れもなく「グリーフ」でした

そして姉の結婚も「私の日常の一部を奪った」ものだったのです

かと思いきや、

自分で決めた転職や、海外渡航による人との別れなどには、

言うほどの悲しみはほとんどなく、

清々しく歩みを前に進めていったものです(笑)

つまり、自分で選択した「別れ」は、

私にとっては判りきった、予期している「別れ」なので、

心的にも身体的にも用意があるので、

衝撃ではないのです

「失ったもの」ではあるけれど、知ってて「手放したもの」

でも、

私が予期しない突然、

あるいはわかっていても、自分の力ではどうにもできない流れで、

私から、「私の好きなもの」「私の大切なもの」を奪われたとき、

それは衝撃的だし、

大きい悲しみを伴う別れであり、

喪ったものなのです

それは大切であればあるほど、

愛着があればあるほど、

好きであればあるほど、

その喪失、別れはつらく、悲しいもの

と思うのです

大袈裟ではなく、

この大切にしているもの というのは、

人でもモノでも、環境でも、状況でも

なんでも当てはまると思います

人それぞれ、「大切なもの」「愛着のあるもの」は違います

例えば、割れたマグカップーーー

自分にとっては対愛ない、代替えが可能な

マグカップだったとしても、

もしも相手にとって、

実はとても大切なものだったら、

相手にとってマグカップの喪失は、「大きな悲しみ」だったとしたら、

それは「グリーフ」なのではないでしょうか

「いくらでも売ってるよ」

「たかがマグカップくらいでそんなに落ち込まなくても〜」

なんていう言葉がけが、

どれほど無意味で、

しかも相手を傷つけることか・・・

(言葉がけが難しいのは、ゆえにそういうことだと思うのです)

「グリーフ」かどうかはその人自身が感じることで

他者が決めたり、判断することではないと思います

そして、

私は、

損なう、奪われるというのは、傷つく」ということだと思っています

だからグリーフは傷ついている状態なのかもしれません

我が身を損なう、傷つけるという点では、

身体的な病も同じでしょうし、

メンタル的に傷つけるハラスメントも当てはまるでしょうし、

過剰と言われるヘイトな発言もそうでしょう

病を告げられる前の自分とは、違っているだろうし、

ハラスメントを受ける前の自分と受けた後の自分のメンタルは

明らかに違い、

世界を見る目、人を見る目、自分自身を見つめる目も違います

そこに「〝これまでの日々の自分〟を失った自分」がいるのではないでしょうか

では、その傷は、グリーフは癒えないのでしょうか?

私たちが好きな言葉とも言える「立ち直る」「乗り越える」は

あるのでしょうか?

・・・・この続きはまたーーーー

※「グリーフ」は皆さん、それぞれの見解、解釈があるものです

あくまでも私個人の解釈なので、あしからずご了承くださいね

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