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  • 執筆者の写真mizunowa

『信じる』について


最近、

私がやっている

ボッダー式マニュアル・リンパドレナージのサロン

〈水の環〉にお越しいただいたお客さまと、

トリートメント終了後、

興味深い話をしました

しばらく考えていたことなので、

整理も兼ねて、

ちょっとここでーーー

込み入ったことはちょっと端折ってるので、

わかりずらい、

読みにくいがあるかと思いますので、

悪しからずご了承くださいませ

話は、

自分のやっていることをとことん信じられたら、どんなにラクだろう?

という感じのことだった

「やっていること」って、

仕事でも自己実現のことでも

なんでもいいのだけれど、

自分で

『自分がやっていることは、大丈夫、合っている』と思えたら、

ラクだし、強い

よねぇ〜なんて話をしてました

それでフト思ったのが、

それって「自分(の生きていく道)を信じること」なんだよな、と

私たちの周りは情報と物がたくさんたくさんあって、

「日々は取捨選択で成り立っている」と言えるほど

とにかく溢れている

決めても、ついつい目移りしてしまう、

「ランチのメニューは、一緒に食べてるこの子のオーダーの方が、

美味しそう」

「あっちのデザインのワンピースの方が可愛かったかも」

「今のこの仕事より、あっちの(仕事の)方が

   自分に向いているのかもしれない」

「あっちのスーパーの方が値引率がいいかもしれない」

「この人(相手)でよかったのだろうか」

・・・なんて具合に

今目の前の自分の選んだことを疑い、

決めたにもかかわらず

他に目移りしてしまい、そっちがよく見えてしまうことなんて

ザラだ

そういうのを私は何気なく

日々ちょっとしたことでも

くり返してきてるように思う

決めることの怖さ、みたいなものもあったのかもしれない

(決めたらやり通さないとならない、やり抜くべきみたいな

変な責任感を持っていたりしたので^^;)

私たちは普通に

決めたことでも「これでよかったのか」と迷い悩み、

後悔することも多々ある

重大であればあるほど、

決めた後に襲ってくる感情もある

でも、そんな時でも

「大丈夫、間違ってない、選んだことを精一杯やっている」と思えるのは、

強い 

知り合いのお父さんの話になるが、

彼は、認知症にかかった奥さんの介護看護をしている、

娘である私の知り合いは、

時に「ああすればよかった」「こうしていれば・・」と後悔することがある、と

でもその時、父親は

「オレは何も思い残すことはないよ。お母さん(妻のこと)には、

出来うる精一杯をしてきたからね」

と話すのだという

この話を聞いて、

私は一撃を喰らった

「すごい!」と

私は、その彼女のように

思い悩む、過ぎた選択について思い巡らすこともある、

特に親の介護には、それが付きものだ

(自分のことならまだ諦められるし、やり直しがきくと思えるから)

でも彼女の父親は、

「自分は精一杯やっているから大丈夫」という強い思いがある

(正誤のスケールの話ではないところが、

正誤という二次元で語る部分を超えてるというところが大きい)

なぜなら「オレは妻を愛している」からなのではないか、

と思った

「愛は信じること」なんだとも思ったけど、

自分の行く道に1ミリの疑いもない(あったとしても払拭できる)のは、

「悔いなんかないもんね、なんで悔いる?

信じたことを懸命にやってだけじゃんね★」という

圧倒的な信じる気持ちがあるから、

純度100%の信じる

そうなんだよね、

信じるという行為は、時に強さを必要とするけれど、

(信じようと意識的に思うことは、強さが必要な時があると思う)

でも、

「信じきってる」という状態は強さを伴う

と思った

「自分を信じきった」ら、

失敗や挫折とか、そんな表面的なことは軽く息で吹き飛ばすくらいのこと

もちろん落ち込むし凹むこともある、

だけど、

「そもそもこの道を歩いてるんだから大丈夫☆」って思えて、

歩みを止めなければ、

ちゃんと目的としている景色を見ることができるよ、って思えてる

そうしたら、道の途中に凹みがあったり、大きな岩があったり、

ぬかるんでたり、大きな水溜りがあったとしも、

見えないくらい細くなったとしても、

「この道で大丈夫」と思えたら、

困難は困難だけど、

乗り越えて、すり抜けて、ちょっ迂回しても

歩いていくよね、

・・・・そういうの、そこまで信じられたら、

思い悩み、後悔したり、目移りしなくて、

ラクでいいなぁ〜と思ったの(笑)

迂回ルートと見える標識が出ても、

ご当地の美味しいものが売ってる売店があっても、

他の道の方が見晴らしのいい景色が広がっていても、

「この道が私の道」って信じきって

アクセル踏めたら、

めっちゃ気持ちいいだろうなって思えたの(笑)

ついつい、

他の道(他の人がやっていること)に目移りしたり

羨ましく思ったり、

憧れたり、

できるんじゃないかと思ったり、

そんなんで、自分の行く道を疑う、

「ほんとはあっちなんじゃないか?」と迷うと、

途端に疑いだす

・・・・そういうの、あってもいいし、

あるのがヒトだと思うけど、

それでも

「でもね、私の道はコレ♡」って信じてたら 、

間違ってハンドル切りそうになっても、

車線変更しようと思っても、

停車しようとブレーキ踏んで速度を落としたとしても、

また走るべく道に戻って来られる

でも、私は

もぅ目移りしたくないし、

さほど気に入ってもいない売店などに寄り道もしたくない・・(^◇^;)

信じきって

ただただ

アクセル踏んで突っ走りたい!!!!

この、

「私の道はコレで合ってる、大丈夫」と信じる、信じきるというのは、

ある種、

思い込み

みたいなところもあると思った(^^;;

でも思い込みって大事だよね、時として💦

そしてこの「自分(の行く道)を信じる」は、

自分を信じるに通じるんだけど、

目的としている場所と一見、逆方向に行っていたとしても、

「大丈夫」って思える「信じる」なんだとも思う

だって「道」そのものは間違ってないから、

その途上に間違いや失敗があっても

「道」は合ってるんだから、大丈夫♡っていう

「できる」とか「できない」

「努力する」とか「能力がある」とか、

そういうスケールの話ではなくて、

「道が合ってる」=「私が私でいい」みたいな存在の話

・・・あら?

それって自己肯定っていうのにもつながるね(^ ^)

で、結局それって、

誰かに「あなたはあなたを信じていいよ」って指図されたりすることじゃない、

(そもそも、それもご免って話)

自分で自分に思うことしかない、

暗示でも思い込みでも(笑)

私、「私」を信じてる?

あなた、「あなた自身」を信じてる?

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