ようような人生
- mizunowa
- 2018年2月4日
- 読了時間: 4分

こんばんは
昨日からこっち、
お籠りで内省daysです
じっくり腰を据えて考えたいことが
たっっっっぷりあるので、
途中で外出とかも入れずに、
思考のままにアタマを放っておきながら、
アイディアが出てきたり、
じぶんの内省をしたり、
思考ぶりを観察して、思考の癖を見つけたり☆
そんななかで、
『考え方のクセ』をいくつか発見できたような気がする
超有名なビジネス的な啓発本をナナメ読みしたり、
TED(Technology Entertainment Design
*USAでやっている、さまざまテーマについてプレゼンテーションをする場:
TED Confrence(テドカンファレンス)が有名)を
You Tubeで覗いたりしながら、
ハタと気づく
「わたしの人生って〝ようよう(庸庸)〟だったな」
すごーい失敗もしてないけど、
すごーい成功もしてない
すごーい不満があるわけじゃないけど、
すごーい満足してるわけでもない
すごーい不幸のどん底を味わったこともないけど、
すごーい幸福の絶頂を知ってるわけでもない、
色でいうと、濃淡でいうと、
ほんとグラデーションの真ん中っていうか……(笑)
※「庸庸」とは「優れたところがないさま。平凡」という意味です

なんていうの?
「まぁまぁ」…みたいな?(笑)
……そういう安全パイな範疇で、
アレコレ、チャレンジしたりトライしたり、
(そのなかでの大小の失敗はあったり、傷つけたり傷ついたりしてきた)
いろんなこと考えてきてた☆んだ
レンジ(幅)が小さいほうが、
大きく傷ついたり
大きく挫折したり…しないし、
そのぶん
幸福感を感じる器は小さいし、
満足感が入るコップは小さい
まぁ、だからほんとうに
危機感も持たずに
這い上がるようなタフさも持たず、
海のように深い思い遣る心も得ずに、
呑気に、
のんびりのほほんと、
気ままに生きてきたなあと、
ぬるま湯…というか☆
そしてラッキーなことに、
そんな感じで、
今日まで災害や事件に巻き込まれたりするような酷い目に遭うこともなく
たくさんの人に、暗黙で助けられて、支えられて
歩いてこれた
(これは、ほんとうにただただラッキーなんだと思う)
もちろん、
この〝ようよう(庸庸)〟であることって、
「いい・わるい」の話じゃない☆
無意識に選んできた結果なのだ
(いや、好き好んで…ナンダロウ、心の奥底でラクチンなほうを選んできたのだ)
〝ようよう(庸庸)〟な人生
なので、後悔とかダメだなーとかっていうハナシではなくて、
ただただ、
「あぁ(無意識でも)望むように生きてきた結果が、今なのだ☆」と
事実を、冷静に受け止めてる感触なのです
で、
これはこれで、けっこうシアワセなので、
よかったんです☆私的に…
(そりゃそーだ
すごーい満足してるわけじゃないから、
その、すごーい満足感なんて味わったこともないし、
返して、爆発するほど脱兎の如く逃げ出したくなるほどの不満足を
抱えているわけでもないので)
でも、
気づいてしまった☆
目が醒めてしまった…といったほうが適切か☆

グラデーションじゃない、色をはっきりさせたい、
じぶんで「満足」って思える人生にしたい
じぶんで「好きだからこれを着てるの」っていう人生を
目指したい!
そしてこんなぬるま湯だったけれども、
ぬるま湯故の好さ を
役立ててもらえるように
生きていきたい!
それは決断をして、
その決断を決行し続けないと成り立たないんだ
…ということに、
目醒めてしまったから、
気づいてしまったら、
タイヘンでも、
こっちの道を歩むしかない☆
あっちの、歩んできた道は、
何かあったら環境や周りのせいにして、
不平不満、ブーたれて、
ひがんで拗ねてればよかったんですけどネ
ラクチンだったんですけどね☆
知らなかったら、
気付かなかったら、
あっちの道で、
中途半端な目覚めで歩いていってもよかったんだけど、
知ってしまった以上、
気づいてしまったからには、
こっちの道を行くしかないでしょう
気づかない、知らないフリはできないもの(笑)
でもね、
やっぱり戻りたくなるときがくるかもしれない、
ラクチンな道がいいと思うだろう、きっとまた
でも、
こっちの道をがんばって歩いて行こうと思う、
だって
2月4日は立春ーー季節を分けた節分が奇しくも昨日、
今日は朔日(1日)みたいなもんだ
こんな日に目醒めたなんて、
行くしかないでしょう、この道を☆
だから、
ちょっとオメデトウ
そして、これから
入れたことないくらい
人生初の気合い、気力を入れて
がんばるように!わたし!!
