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  • 執筆者の写真mizunowa

ケアする人のケア、はじめます


仕事として、ボディトリートメントをやりながら、

私は、「対人援助」を学んでいます


その中で「グリーフサポート」というのフィールドに

関わり、独学で学んでいます

(この「グリーフサポート」と介護をする人のケアについては、

また別の機会に書きますね)



さて、

今回は、

『ケアする人のケア』をはじめる・・ということについて




介護というのは、

知らず知らず、

介護者を「浸食」していきます

それは具体的に時間的拘束、時間を拘束されれば、

しぜんと心身が振り回されます


気づくと、

「親のこと」「介護のこと」で

自分の全てを覆い尽くされてしまって

四六時中、考えていることに


これは、別に悪いことととは思わないです、

「親のため」「親孝行」「親が好きだから辛い思いをさせたくない」、

・・・人それぞれ、いろんな思いで「親」に接し、

懸命に、本当に自分を後回しにしてまで

「介護」することは悪いことなんか

これっぽっちもありません





でも、



「介護」が「子育て」に似ていると思うのは、

「家の中」で行われることだから、

閉じてしまいがちになってしまうこと


介護される人は、

歩くことができなくなり、

外出がままなくなり、

起き上がることが辛くなり、

寝たきりになる


頭がボンヤリし始めたり、

認知、認識がちょっとずつズレていったりして、

物忘れや勘違い、思い込みが強くなり、

日常生活に噛み合わなくなっていったりする


そうすると、介護者は、

介護する親に対して、

目が離せなくなる


もちろん公的な介護保険のサービスを使う


それでも気が抜けない、

目が離せない、

一人の時間があっても、

結局、「親のこと」を何かやっている、考えている

(例えば、買い物に行っても、親の物を買っていて、

自分の買い物もそこそこになったりする)


・・・繰り返すけれど、

それは悪いことじゃないです

(私にはそれが良いことかどうかわからないけれど)


でも、

そういうことが、それがチリも積もると

膨大なボリュームで、介護する「あなた」を乗っ取ろうとする、

侵略してきて、「あなた」を呑み込んでしまう可能性がある


それでも、介護者である「あなた」は気がつかない

あなたは気づかないまま、またがんばってしまう・・・(がんばらざる得ない)



私自身、

「負のスパイラル」にハマりこんだ経験があります、

そして、今でも気をぬくと、このスパイラルに入っていってしまいます


そんなとき、SNS(Twitter)を始め、

Twitterのつぶやきの海で、

同じように親の介護をする人たちと出会い、

話し、つぶやきを受け止めてもらい、

愚痴を聞いてもらい、

自分の中にある、どす黒い感情に共感してもらったりして、

そして、笑い、

時には有益な情報を教えてもらったり


これは、今でもとても支えになっています

(まず親の面倒見が始まったら、

介護保険の認定とTwitterを始めることを

私はオススメします・笑)





そうした中で、

私自身が、つくづく

「ケアする人にケアが必要」と思ったのです、

なぜなら、私がケアして欲しかったから、


話を聞いてくれるだけでいい、


励ましてくれなくていい、

「みんなもやっているから」とか

「親なんだから当たり前」とかいう常套句は聞きたくないし、

「(介護で)そういう時期はあるものよ、通り過ぎるから」みたいな

介護先輩の話も聞きたくなかった

(だって、「今が」辛いのに、「先を見てがんばれ」なんて言われても、ねぇ〜)


自分と同じ目線で、同じ立場で、

愚痴を言えたら、

不満を言えたら、

親への(というより介護の)恨みつらみを言えたら、

どんなにいいだろうか?ーーーと思ったのでした


そして、解放されたい、



「介護」から一瞬、いっときでも離れて、

そんな時間があったら、


その時間を過ごせて、帰ったら、

きっとまたがんばれるかもしれない・・と思うから、



(これを専門的な言葉で「レスパイト(休憩、休息)」と言います)




だから、私ができることで、

始めます


『ケアする人にこそケアが必要だから

ケアする人にケアする』



具体的に言うと、

マンツーマンのスタイルで、

安心、安全な場所で、


話をしたければ、話をしていいし

話したくなければ話さなくていい、


受けたければ、マッサージやトリートメンを受けていい



だから、

ここへはあなた一人で来てください

面倒を見ないとならない親は、

ひとまず誰かに見てもらい、

一人で電車に乗って、来てください



私は、カウンセラーでも、

あなたの友達でも、

あなたの家族でもありません


共通は「介護している」ということだけ、


そんな相手だからこそ、

あなたの何かを開けることもあります


あなたが話したことは外に漏れることはありません

ここへきたあなたについて、誰も知ることはありません






だから、

もし一人で抱えていたり、

押し潰されそうになっていたら、


気づかないうちに、

「(親なんて)いなければいいのに」

「すべて、投げ出したい、逃げ出したい」と

よぎっていたら、思ったら、


それはサインです



ここにきませんか?



詳しくはコチラ☆



















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